申年の印象

「申年の印象」

 飛行場そばの用水路で、ぼくたちは頭上を降りてくる巨大なジェット機を眺めている。
 ジェットエンジンの爆音の中で、友達は好きな女の子の名前を叫んだりしている。
 中学二年生とはそういうものだ。
 クラスメートの女の子がぼくに聞く。
「人生で一番大事なことって、なんだと思う?」
 ぼくは答える。
「そういうのは人それぞれだと思う」
 彼女は答える。
「健太くんならそう言うと思ってた」

 彼女は前夫との子を自転車で迎えに行っている。
 ぼくは彼女の本棚を眺める。彼女の元指導教授の本が並んでいる。
 彼の息子だから、きっと優秀に育つことだろう。
 一冊取り出す。フッサールベルクソンを引用しながら、なかなか良いことを書いていたので、ページの端を追っておいた。
「幸せとは生命の流れにおける・・・」

 どう考えても頭がおかしい女の子が目の前で訴えている。
「わたし、間違ってますか?」
 大きい目と高い鼻で、大雑把にいうと美人に分類される子である。
「そういうのは人それぞれだと思うから、正しいとか間違っているという訳ではないと思うよ」とぼくは言う。
 ぼくは内心、そんなことは少しも思っていない。
 彼女は彼に一刻も早く、謝罪のメールを送るべきだ。
 彼女に病名をつけるとしたら、幾つか候補が浮かぶ。
 彼女は涙をポロポロこぼしながら言う。
「でも、これ生きるか死ぬかの問題なんですよ」

 机の上の小さな赤べこが頭をゆらゆら揺らしている。
 誰に宛てるでもない手紙を書いて、引き出しにしまう。
 深夜の喫茶店に行くと、誰が演奏しているのかわからない、安らかな曲が流れている。
 「やっぱり彼女には、どうしようもない真実だったんだろうな」と思う。
 窓の外で酔っぱらいが道の真ん中で倒れている。警察に電話するために店外に出る。
 もしこの光景を中学二年生のぼくが見たら、なんと思うのか聞いてみたい。

おわり

生活と小説 その6

 その中華料理店というのは、駅前から少し歩いたところにあり、店員はみな中国系と思われ、広東風なのだか上海風なのだか北京風なのだか、細かいことはよく分からないが、とにかく安くて美味しいので、ヤマザキは三日に一度くらいは利用していたのだが、ある日、すべてのメニューが百円値上げされており、多分、いままで日本における値段の付け方を間違っていたことに気付いたかのようであった。
 ヤマザキは佐々木にそもそも何を相談しようとしていたのか忘れてしまっていて、そもそも相談しようと思っていたのかさえ忘れてパクパクパクパク、海鮮焼きそばを食べていたら、佐々木が「で、なに?」と聞いてきた。ヤマザキ紹興酒のせいで、多少酔っ払っている。「何が、ですか?」
  
 サイゼリコと冷麦は次の撮影場所を井の頭公園に決める。ボートに乗りながら歌おうということになり、吉祥寺駅からテクテクテクテクテクテクと歩いたのだが、井の頭公園にたどり着かない。たぶん、今いる場所は井の頭公園のすぐそばなのは分かったのだが、いかにも「ここが井の頭公園です!」という噴水やらボートやらが視界に入ってこない。
 じゃあ、ここで休みましょう、そして、とりあえず撮影しましょう、と和洋折衷的な変な建物へ。
 そこがホテル井の頭。

生活と小説 その5

 サイゼリコは、ふとヤマザキに電話をしてみたくなる。

もしもしサイゼリコですが。「なんですか」。自分に自信が無いのです。「ああ、それは大変ですねえ」。ええ、大変です。「で?」。はい、どうすれば自信が持てるようになるのかなあ、と。「それをぼくに聞きたい、と」。ええ。「いやあ、ちょっと、君のこと、まだ良く知らないしねえ」。いっしょにお茶した仲じゃないですか。「確かに君のやってることは面白いと思うけど」。

 ヤマザキは妙な電話に困惑すると同時に、自分が頼られている感じが気持ち良かったので、ここは全力を尽くしてサイゼリコに良いアドバイスをしてみようと思った時には、電話の向こうから、冷麦らしい女性の笑い声がしてと思ったら、急に電話が切れた。すぐにメールが来た。すみません、撮影が始まっちゃいました。また電話します。

 憤懣やるかたない気持ちにさせられたヤマザキは、佐々木に電話をしてみる。もしもし、佐々木さん? 「どうしたの?」。やっぱいいです。「なんだそりゃ」。あ、飯食いに行きましょうよ。
 という訳で、ヤマザキと佐々木は、近所の中華料理店へ。

 

生活と小説 その4


 宇宙の大きさが、今まで考えられていた大きさの三分の一しかなかった、と言われたところで、別にどうということはない、実は百倍だった、と言われても、どうでもいい。それからヤマザキは、布団に入りながら、天井についているLEDのランプをどう取り替えればいいか、考える。考えているうちに段々眠くなる。眠るために布団に入ったのだが、逆に眠気に抵抗したくなる。一瞬、ガクンと意識が落ちたような気がして、目を開けると、窓から朝の光が差し込んでおり、時計を見ると、もう翌日。損した。

 ハタケヤマは周囲から「ハタケヤマさんはそんなに見た目がいい訳ではないけれどモテるタイプ」と言われて妙に腹が立ち、あえて男性を遠ざけていたのだが、最近、腹が立ってばっかりで人生から潤いが逃げていっている可能性があると思い、自分が「モテるタイプ」であることを最大限、利用してみようと思ったが、まともな男が寄ってこない。
 ハタケヤマはヤマザキにメールを打つ。「わたしの魅力ってどんなところでしょうか」

 ハタケヤマからのメールを受け取ったヤマザキは、随分、頭のネジがゆるんでいるやつだなあと思い、ハタケヤマの魅力として「わがまま、ズボラ、短気」と書いて返信すると、すぐにハタケヤマから「ありがとうございます!」という返信が来たが、ヤマザキは、そのメールをハタケヤマが悔し涙を流しながら打ったことには気付く良しもなかった、というよりも、ヤマザキは「ありがとうございます!」とか打つ暇があったら、今までの男性に対する自分の振る舞いを泣いて反省しろ、くらいに思っていた。念頭にあったのは、ハタケヤマと一回食事をしただけなのに、「あいつの目は、獲物を狙っている蛇のそれだったわ!」と変な噂を流されて傷ついているタケナカくんのこと。

生活と小説 その3

 ハタケヤマは自分が頭の良いタイプの人間ではない、ということをよく分かっていたから、ヤマザキのよく分からない話を、よく分からない人間なりに、よく分からないけど、きっと意味が分かると楽しいんでしょうね!といったような表情で聞いていたけれど、やっぱり、よく分からない話を一時間も聞かせられ続けていると、腹が立つ。どうして本棚の上で唄ったら芸術なんだよ。一発殴りたい。
 ヤマザキヤマザキなりに、この話はハタケヤマには通じないだろうなと思いながらも、どうしても誰かに話さないと自分の気が収まらなかったので、ハタケヤマにかわいそうだけれども、犠牲になってもらった。すまないハタケヤマ。
 ハタケヤマと駅前で別れてから、ドトールエクセルシオールカフェシャノアールあたりで本を読もうと思ったが(スタバは嫌だ。スタバに長時間居座るやつは、順番待ちの人間にもっと気を使え)、アマゾンから届いた本を、自宅に置き忘れていたことに気付き、腹が立った。どうして、届くまで二週間も待った本を置き忘れちゃうんだよ。一発、自分を殴りたい。
 松屋でビビンバ丼を食べていると、となりの客が話しかけて来たので、顔を向けると、二十年前以上に、いっしょにうつ病のグループ治療を半年ほど受けていた人だった。ヤマザキは、自分のことを覚えていてくれたことに感動したけれど、当時のメンバーの五人ほどが既に死んでいて、そのうち二人が自殺したことを聞かされた。こうなると、もう何をどう考えていいのか、何を喋っていいのか分からなくなって、とりあえず連絡先だけもらい(彼はオオカワラさんという名前)、不自然な形で会話を切り上げて、店を出て、ぼーっとしたまま、ドン・キホーテでアイスを買って帰ったが、自室でパソコンを起動させてメールをチェックするころには、ガールフレンドにメールを打つほど、回復している。

生活と小説 その2

 サイゼリコによると、冷麦の姉が彼氏をあの自称知性派アイドルに寝取られたというのは本当で、冷麦の姉は、あのアイドルが所属しているグループの幾人か、さらに他の複数のアイドルにも寝取られていて、要は、姉が寝取られたというよりも、彼氏がアイドルを食いまくっているのであるのであるからして、そこら辺の、妙な事情のこんがり方がサイゼリコの興味を引いたのであります、とサイゼリコ。自分で自分のこと、サイゼリコって呼ぶんですね、とヤマザキ。ええ、たまに。
 なんだかんだとヤマザキ喫茶室ルノアールでサイゼリコと話し込んでしまい(冷麦は派出所で親に引き取られていった。合掌)、さらになんだかんだあってヤマザキがワカバヤシとの待ち合わせ場所の紀伊國屋書店本店の六階・映画関連本コーナーに到着したのは、待ち合わせ時間の十五分前。ヤマザキは階段を六階まで駆け上がったため、疲れ切っていて言葉が出ない。
 そして夜が来て、朝が来る。
 
 ヤマザキは翌日、サイゼリコと再びルノアール。冷麦もいっしょ。
 サイゼリコはまじめなんだかまじめじゃないんだか分からない表情をしながら、時々、かなり鋭いことを言ったかと思うと、急ににやーっとしたりする。となりでメモ帳に落書きをしている冷麦。

——こんにちは。ヤマザキと言います。
 こんにちは、冷麦です。
——変わったお名前ですね。
 ええ、父は冷水で、姉は温水、兄はどん兵衛、わたしは冷麦ですから、多少はバランスが取れているんじゃないかと思います。
——お父さんのご職業は?
 作家です。香川冷水という名前で、いかがわしい小説を書いています。

プチっ。

 ヤマザキの冷水へのインタビューは、ヤマザキのICレコーダーの電池切れのため、三十秒で打ち切られた。
 その後、電池を買いはしたけれど、インタビューをする気も起きず、サイゼリコと冷麦との三人で、建物の屋上でバドミントンをした。急に強い風が吹いて、シャトルが流されていく。そして、隣のビルの三階の窓へスポンと。
 
 冷麦の弟は西武新宿ペペにいた。
 イシバシ楽器店である。
 指を使わずに息を吹く勢いだけでメロディーを出せる笛のようなものを探していたのだ。
 冷麦弟はカズーのようなものをイメージしていて、ギターを弾きながら、カズーをぶーぶー吹けば、自分が歌わなくても、曲を作って録音できると思ったので、急に欲しくなって、イシバシ楽器にやってきて、あちらこちらを回ってカズーを売っている場所を探しているうちに、ギター売り場でエレキギターを試奏したり、音楽ソフトコーナーで価格の高さで驚いたりしているうちに一時間位経ってしまっていて、ハーモニカというかブルースハープ売り場に辿り着いた時には、もうカズーへの気持ちを失いかけていたのだけれど、店員さんに、なにかお探しですか? と尋ねられた時、手を使わずに音程を出せる笛のようなものを探しているんですけど、と言っても相手には通じず、冷麦弟は、要はカズーみたいなものなんですけれど、と言った。

 試しに吹いてみてください、と言われて冷麦弟は、手渡されたカズーを吹いてみた。なかなか音がでない。わたしがやってみます。わたし、サックスやってたので、といって、冷水弟が持っているカズーを店員は吹いた。 
 冷麦弟は「間接キス」だ、と思った。
 店員の名前は外岡と言った。
 店員はそのカズーを何度も吹いてみるが音がでない。そしてそれを冷麦弟に手渡す。
 冷麦弟は、こいつは頭がおかしい、と思うが、手渡されたよだれでグチャグチャのカズーを吹いてみる。どうやら自分も頭がおかしくなったみたいだと思う。
 店の奥から、マーク・ボランみたいなギターが聴こえてきている。
 そうやって、三度、四度とカズーを交換しては、ふたりでヒューヒューと音にならない音を出している。
 冷麦弟は、しばらくして店を出たのだけれど、当然、そのカズー交換のあとは、なんだかんだあった。
 冷麦弟と外岡はすでに電話番号やらいろんなものを、なんだかんだの間に交換し終わっていた。
 外岡のポケットの中にはベトベトしたカズー。
 冷麦弟は、どうしようもなくなって、家に帰って、物置から金属バットを取り出し、素振りを百二十回。
 あら、お兄ちゃん、今から甲子園でも目指す気なの?と冷麦妹。

つづく

生活と小説 その1

 ヤマザキ西武新宿駅の改札を通ってから、地下街への階段を降りていて、薄暗い踊り場で座っているホームレスの横を通り過ぎる際に多少の罪悪感を抱いたり、急いでいる訳ではないのだけど、なんとなく小走りしたら汗ばんで、無印良品のグレーの半袖シャツに染みが出来てしまい、うんざりもしながら、とりあえず待ち合わせ時間まで新宿サブナードで時間を潰そうと思ったのだが、約束の時間まで、まだ一時間半くらいあるので、我ながら家から早く出発し過ぎるにも程があるとも思うのだけれど、福家書店や古本市や薬局もあるし、いざとなれば西武新宿駅の上にあるぺぺに戻って、ユニクロやら無印良品やらイシバシ楽器に行ってウロウロしてたっていいし、ドトールかなにか、安いカフェみたいなところで、ボーッと目の前を通って行く人を眺めてたっていい訳で、それで一時間半くらいは、ふつうに潰れるでしょう、人をジロジロ眺めるのは昔から大好きだし。

 ヤマザキと待ち合わせをしているハタケヤマは、ヤマザキとの待ち合わせ場所に二時間前から来ていて、立ち読み好きのヤマザキなら、もうここにやって来ていてもおかしくないはずだ、と紀伊国屋書店をワンフロアずつまわり、最終的に絵本売り場でダラダラしながらも何度も携帯電話を気にしたり、妙にソワソワした感じを味わいながら、わたしはヤマザキさんのことが好きなのかしらー、そうでもないのかしらー、そもそもヤマザキさんはわたしのこと、どう思ってるのかしらー、好きなのかしらー、なんとも思ってないのかしらー、などと考えたりもしたが、ヤマザキが自分のことを好きだったら、なんとなくウザいし、逆になんとも思っていなかったとしたら、無性に腹が立つし、誰かにとことんヤマザキの悪口を言ってやりたい気がするし、ヤマザキに関する悪口の材料はとことん持っているのだから、それをきちんとあたかも軽いエッセイのようにまとめて、これブログに載せようと思うんだけど、ヤマザキさん、添削してーと、ヤマザキに送ってやれば、多少は悔い改めるだろうと思ったが、途中で自分の考えが迷走していることに気がつき、これはやはり、わたしがヤマザキのことを好きだからじゃないかとも思ったりして、イライラしたりもして、イライラする自分にも腹が立ったりしていて、結局わたしはどんどんどんどん腹が立つんだ、きーっ!とハタケヤマ。その間、ハタケヤマは、ちょっと離れたところで教育書を呼んでいるナルシストっぽい男にジロジロ見られているような気がしてイラッとしたが、やっぱりわたし最近、自意識過剰気味なのかしら、と思って下着の肩紐を直したら、またナルシスト風の男がジロっと見たので、再びイラッと来たのだが、その瞬間、自分はヤマザキさんに愛されたいのだわ!そしてヤマザキさんもわたしを愛しているのだわ!と、何故だか直感。根拠なし。あいつ、ナルシストにも程があるよな、と窓に映っているのであろう自分の髪型を直しているナルシストを眺めていたら、そのガラス越しにナルシストと目があって、ハタケヤマの全身に鳥肌が立つ。

 ヤマザキサブナード前のやや薄暗い通路を通ろうとすると、壁側に老若男女がおとなしくズラーっと並んでいて、係員が三列に並んでくださーい、と言っているので列の先は三列くらいになっていると思うのだが、後列につれて、人々がぐちゃーと並んでいるのだか並んでいないのか、よくわからなくなっており、その、ぐちゃーっと固まっている老若男女が徐々に三列に形成されて行く様は楽しいし、列を辿って行くと、案の定、福家書店のイベントコーナーで、ヤマザキと元カノがいっしょに応援していたアイドルの握手会だったりしたので、ヤマザキは、なんとなくうれしくなる。

 紀伊国屋書店では握手会が開かれていて、それはハタケヤマが一冊だけ読んだことがある作家の握手会で、一冊と言ったけれど、実際はその本の題名にもなっていて、その中に収録されている芥川賞を受賞した中編だけしか読んでいないのだけど、やはりすごく身近に感じたりもしたので、列に並ぼうと思ったけれど、随分と列も長いし、サインを貰うには新刊を買わなければならなかったので、とりあえず、その作家の顔だけ見ておこうと思い、ハタケヤマが列の先頭に行ってみると、そこには思ったより禿げていて、思ったより小さい男性が、セコセココキコキとサインペンを走らせていた。そんな紀伊國屋書店の午後。

 方や、ヤマザキ福家書店で立ち読みをしているのだが、目の前のパーテーションの向こうに、あのアイドルがいるのだなあ、と思うと、ちょっと感傷的にもなったりして、というより、自分から感傷的な気分を自分自身に醸し出したりして、今は他人の妻となっている元カノとの楽しかった日々に思いを馳せたり、わざとその頃読んでいた本を文庫売り場で見つけ出し、感傷的な気分をさらに高めていたら、突然、ドンっという音がして、自分のすぐ横にある雑誌が並べてある平台に、制服姿の女性が飛び乗った。ちょうど、スポーツコーナーの「トライアスロン・マガジン」やら「週刊パーゴルフ」などのあたり。

 たぶん十代後半だろうと思われる女性というか女子というか女の子が、制服というか制服風の洋服で、雑誌が並んでいる平台の上でポーズを決め、それを二十代前半らしい女性が、その様子をたぶん高画質だと思われるビデオカメラで撮影をしていて、女の子はオペラっぽい歌を歌い出すが、歌詞は全然聞き取れず、ヤマザキはその様子をボーッと見ているのだが、周りが止めようともしないので、これはなにか、テレビか映画の撮影かと思ったけれど、書店の店員さんが、またあいつらか、と言っていたので、どうやら、ゲリラ撮影かなにかなんだろうと思い、ビデオカメラを構えている女性に、これは、あれですか? なにかの撮影ですか? と尋ねてみると、ええ、ドキュメンタリーを撮ってるんです。この子、変な子なんで。へえ。出来上がったら見てください、これURLです。(時々、女の子のすっとんきょうな叫び声)あ、ぼくもいろいろ書いたりもしているので多少、興味があったりなかったり。じゃあ、名刺ください。あ、はい。ありがとうございます。わたし、あいにく名刺を切らしておりまして、このQRコードをピピっとやってもらえれば、わたしのサイトが見れますよ。
 女の子は依然、棚の上で雑誌を踏みつけながら歌ったり叫んだりしている。それをビデオカメラで撮影している女性。QRコードに導かれたどり着いたサイトによると彼女の名前は現代撮影家サイゼリコ。撮影対象になってるのは、東京都清瀬市の冷麦ちゃん十九歳。
 ヤマザキは、一瞬、アホかと思う。
 冷麦ちゃんはバレエ風にぴょんと飛んでクルッと回って、またぴょんと飛んでクルっと回って書店を出たと思うと、そのまま握手会が行われている方向へ。冷麦ちゃんを追うサイゼリコ。ふたりは係員を突き破って握手会に突入していく。

 以下、冷麦が、居並ぶファンたちに向かって叫んでいたこと。(その様を、右左にステップを踏みながら撮影するサイゼリコ)
 みなさん! こんなところで、こんな顔をしながら平然と握手をコイているこの自称知性派アイドルはわたしの姉の彼氏を寝とったばかりか、日々、キャンパスで男漁りにうつつを抜かし、猫を蹴り飛ばし、犬に噛み付き、生牡蠣を一日三十個喰らい、シャンパンをたらふくのんでゲップを放つ、腐った女なのです!
 ファンと称するあなた達も同罪です! こんな女を公共の電波にのさばらしておくとは、あなた達も同罪です! いや、もっと罪が重いのです!
(ここで冷麦は、おもちゃの光線銃を打つ。ビコビコビコビコ。サイゼリコは歓声を上げる。ひゃーい!)
 案の定、大人たちに抱えられて連れ去られる冷麦とサイゼリコ。
 やっぱりアホだ、とヤマザキは思う。
 
つづく