申年の印象
「申年の印象」
飛行場そばの用水路で、ぼくたちは頭上を降りてくる巨大なジェット機を眺めている。
ジェットエンジンの爆音の中で、友達は好きな女の子の名前を叫んだりしている。
中学二年生とはそういうものだ。
クラスメートの女の子がぼくに聞く。
「人生で一番大事なことって、なんだと思う?」
ぼくは答える。
「そういうのは人それぞれだと思う」
彼女は答える。
「健太くんならそう言うと思ってた」
彼女は前夫との子を自転車で迎えに行っている。
ぼくは彼女の本棚を眺める。彼女の元指導教授の本が並んでいる。
彼の息子だから、きっと優秀に育つことだろう。
一冊取り出す。フッサールやベルクソンを引用しながら、なかなか良いことを書いていたので、ページの端を追っておいた。
「幸せとは生命の流れにおける・・・」
どう考えても頭がおかしい女の子が目の前で訴えている。
「わたし、間違ってますか?」
大きい目と高い鼻で、大雑把にいうと美人に分類される子である。
「そういうのは人それぞれだと思うから、正しいとか間違っているという訳ではないと思うよ」とぼくは言う。
ぼくは内心、そんなことは少しも思っていない。
彼女は彼に一刻も早く、謝罪のメールを送るべきだ。
彼女に病名をつけるとしたら、幾つか候補が浮かぶ。
彼女は涙をポロポロこぼしながら言う。
「でも、これ生きるか死ぬかの問題なんですよ」
机の上の小さな赤べこが頭をゆらゆら揺らしている。
誰に宛てるでもない手紙を書いて、引き出しにしまう。
深夜の喫茶店に行くと、誰が演奏しているのかわからない、安らかな曲が流れている。
「やっぱり彼女には、どうしようもない真実だったんだろうな」と思う。
窓の外で酔っぱらいが道の真ん中で倒れている。警察に電話するために店外に出る。
もしこの光景を中学二年生のぼくが見たら、なんと思うのか聞いてみたい。
おわり